化学科を引退する話 第2話
さて、前期の試験を全て終え、夏コミが過ぎ、夏休みが過ぎ、三江線全駅と広島シティネットワーク全駅を訪問し、北海道全線を踏破して*3北海道に戻ってきて、後期が始まりました。ここで3K*4に君臨する化学科が牙をむきます。
週22コマという恐ろしい時間割が完成したのです(うち必修21コマ)。しかも化学実験IVというのが曲者で、実験をやった翌週水曜日にはレポート締め切り、さらにそれ以降の提出は基本的に認めないというもので、その上2年と3年にまたがっているので、落としたらいきなり2留の可能性すらあるという恐ろしい科目です。この実験はまず混合列車の入稿に重なったこと、さらに例のごとくレポート締め切りRTAを毎度やっているので化学実験IIIのレポートと重なり、11月末には大変なことになりました。
(11/29 化学実験IV 最初のレポート提出→11/30 化学実験III 最終レポート提出+混合列車入稿(12/1 午前4時頃に遅延))
しかもこの化学実験IV、有機化学をやりたかった自分にとっては何にも面白くなく、ただ通過点だったので、最低限の仕上げでレポートは提出しました。
レポートを書きつつ日高線本(の原型)を書き、なんとか冬コミまでに間に合わせました。その後同窓会に出るため地元に帰り、戻ってきて後期の試験を済ませたあたりで、親が北海道にやってきました。そして、実験がうまくいかないことが多い中で化学の世界から手を引くことを考え始めました。
この時点で、選択肢は二つありました。一つは別の大学に3年から編入学すること、もう一つは北大を卒業し、大学院から別分野を専攻すること。別の大学に3年から編入学する場合、試験はなんと6月にあることが判明。大学受験の時も浪人を回避した理由の一つに「人生の無駄時間を減らしたい」ということがあったように私は浪人・留年を人生の無駄時間と捉えていたので、北大を退学し別大学*5に編入することで1年のロスが生じると考えました。結局、私は北大の理学部化学科を卒業し、他専攻の大学院に進むことで進路を変更しようと決めました。2018年の3月のことでした。
さて、進むならどこの院にすべきか、大学院調べが始まりました。そもそも自分のやりたいことはなんだろうと考え、大学鉄研や日高の街を歩くたびに交通とまちづくりは密接に関わっていることに気づいていたので、最初は都市工学(まちづくり)を専攻しようかと考えていました。交通の研究を専門に行っている研究者は、大概道路の研究しかしていないので*6公共交通とまちづくりをテーマに研究している人はほとんどいませんでした。
またどこの大学院に行くかも決まっていませんでした。2年生の夏頃、東大の先生が書いた地方鉄道の維持に関する論文を見てこの研究室に行こうかと考えましたが、その論文を見つけることはできませんでした。当初は学部での受験を諦めた東大の院に行けば何か変わるかもしれないと思いましたが、東大の先生には著名な先生はいませんでした。
ちょうどその頃、各地のバス路線整備に携わる研究者として、名古屋大学の加藤博和先生の名前をよく目にするようになりました。先生の研究内容は自分がやろうとしていることに近く、これだと直感的に気づきました。
そしてもう一つ、名大に進学することを決めた理由が受験科目です。ほとんどの交通工学を扱う大学院は土木系なので、土木の知識が受験に必要になります。しかし大学院入試に必要な土木の知識を化学科の授業を履修しながら独学で身につけるのはほぼ不可能です。しかし名大の環境学研究科なら入試を化学で受けることが可能でした*7。これは完全に入るべき大学院であると確信した私は、来年夏にここを受けようと決めました。2018年4月でした。