10と11の間

雑記です

化学科を引退する話 第1話

このブログは、酔っ払った乗車率の提供によりお送りします。
皆さんこんにちは、乗車率です。
今回は、ちょっと重苦しい身の上話です。気楽に読んでいただければと思います。
あと、このブログには珍しく続きものです。多分書き終わるのに3ヶ月ぐらいかかります。
Twitterのbioに書かれた通り、私は現在北海道大学「理学」部「化学」科に所属しています。といっても4年生は卒業研究の期間なので、実質的には大学院0年生みたいなもんです。しかし今年4月からは名古屋大学「環境」学研究科に所属し、交通の研究をする予定です*1
北大の理学部化学科には、対応する大学院として総合化学院という組織があります。内部進学ならば試験を受ければほぼ確実に上がれます。しかしなぜその道を選ばなかったのか、その理由をお話ししたいと思います。
話は私が化学を好きになった(と思った)きっかけ、中学1年生まで遡ります。公立小学校に通っていた私は、周りの勧めに従い、中学受験をして、広島県内で一番頭のいい(とされる)中学校に行きました。そこでは当然のようにカリキュラムの先取りが行われるので、教科書と別に理科や社会の資料集は高校生向けのものが配られました。そこには、小学校どころか中学校でも教えられないだろう知識が山ほど載っていました。中学1年の時には理科は化学と生物、社会は地理と世界史の授業がありましたが、物覚えのあまり良くなかった私は化学の資料集にはまって行きました。
それと同じ年(2010年)、北大の鈴木章名誉教授がクロスカップリング反応の開発によりノーベル賞を受賞しました。私はそれがどんな反応なのか調べるうちに、ある本にたどり着きました。それが『有機化学美術館』(URL)です。この本は私が有機化学について興味をもつきっかけとなりました。この本にはクロスカップリング反応だけでなく様々な炭素-炭素結合形成反応や、タキソール、ビタミンB12など様々な有機化合物を全合成*2したエピソードなどが載っており、自分もこのような化合物を合成したいと考えるようになりました。
中高一貫校だったので高校受験はありませんでしたが、高校生になって文理選択の時、私は有機合成化学者になりたいと思っていたので当然のように理系を選択しました。またこの時すでに志望校は決まっていて、第1志望は東大の理科I類、第二志望は北大の理学部化学科としました。東大を第一志望に選んだ理由は、とりあえず東大を目標にすれば大体の大学には行けるであろうこと、そして入学後に学科を選択できることでした。理系は物理・生物の2科目から選択する必要がありましたが、化学を学ぶ上で物理の知識がどうしても必要になること、北大の理学部化学科には物理が必要となることから物理をとりあえず選択しました。本当は地学がよかったのですが、開講されていない地学を新たに学ぶのは難しいことがわかりました。
そして2016年3月10日、私は東京大学の入学試験に落ちました。英語がスピードに追いつけなかったことが原因とみられますが、とにかくそれは置いといて後期試験を受けてから今後の進路を決めようということになりまして、ここで初めて北海道の地を踏むことになったのです。北大の後期試験は無事合格し、迷った末に、浪人せず北大へ進学することを決めたのです。理由としては、大学というものは実はどこも大差ないこと、そして大学に行ってから様々な挑戦をしてみたかったということが挙げられます。しかし、理学部化学科という枠組みの中で受けたため、将来学ぶことの選択という自由は失われました。これに関しては東大を選ばなかったデメリットの一つと現在では考えています。
さて、北大に入り、とりあえずは1年生として教養課程の授業を受けることとなりました*3。1年生はほぼ高校の続きのような授業内容なので、大して勉強しなくても単位は取れます。特に私は最初から進む学科が決まっていたこともあり、移行点*4を気にする必要がなかったため、最初から生物系科目を取る必要がありませんでした。そのため高校の時に履修していた物理と化学、そして数学だけで進級することができたのです。そして1年生で卒業に必要な46単位を集め、2年生へと進むことになりました。
とりあえず今回はここまで、次回は気が向いたら書くことにします。次回は私が化学の世界から離れることになった理由を書こうと思います。

*1:無事に卒業できれば、の話

*2:安価な市販の化合物から薬などとして有用である複雑な有機化合物を合成すること

*3:当初は仮面浪人も考えたものの、スケジュールをこなすことが難しかったことから北大に卒業まで在籍することとなりました

*4:教養課程における成績によって希望の学科に進めるかどうかが決まる北大独自の制度において、順位づけに用いられる点数。必修・選択必修のGPAとほぼ同じ